『無』
庭のソメイヨシノは葉が目立ち始めて、 近くの土手では霞桜がもこもこしている。
儚いことを美しいと思えるのは、 また次がある、また逢えると、 沁みこんだ、揺るぎのない「常」の中で 無常(に似て非なるもの)を捉えているからだと思う。
本当の意味での諸行無常を受け容れることができたら、 どんなに強くいられるのだろう。